タトゥーとは
まず、そもそもタトゥーとは何でしょうか。
日本で「入れ墨」「刺青」と呼ばれるものと本質的には同じもので、ウィキペディアには「針・刃物・骨片などで皮膚に傷をつけ、
その傷に墨汁・朱・酸化鉄などの色素を入れ着色し、文様・文字・絵柄などを描く手法、および、その手法を使って描かれたもの」とあります。
日本語の呼称には、「入れ墨」「刺青」のほかに「紋身(もんしん)」、「倶利伽羅紋々(くりからもんもん)」、「紋々(もんもん)」、「彫り物」
などがあります。
タトゥーの起源
人類はいつごろタトゥーをはじめたのでしょうか。
タトゥーの起源、それはきわめて古い時代にさかのぼります。
今から約1万5000年前から約2300年前までの日本の新石器時代、つまり縄文時代の土偶には、顔に紋様がほどこされているものがあり、
その紋様は入れ墨によるものと考えられます。
この例は、世界史的に見ても古い部類に属するとされます。日本はタトゥーの先進国だったわけです。
ちなみに、文化系統的に縄文人とつながりが深いと考えられるアイヌや沖縄の人びとの間では、1872年に明治政府による入れ墨禁止令がしかれるまで、
男女ともに顔などに入れ墨をほどこす習慣がありました(この禁止令は1948年に解除されました)。
古代人の皮膚にほどこされていることが確認されたものとしては、1991年にアルプスの氷河で発見された「アイスマン」が有名です。
約5300年前に45~47歳で死亡したと推定されるミイラ化した遺体の背中と足にタトゥーが確認されています。
位置が腰痛に効果のあるツボと一致しており、ツボ治療の刺激の結果として形成されたとも考えられます。
また、1993年にロシア連邦のアルタイ共和国で発見された約2500年前のミイラ、「ウコクの王女」もたいへん有名です。
彼女は「アルタイの王女」、「シベリアの氷の王女」とも呼ばれ、永久凍土にとざされて、死因が乳ガンだったことが確認できるほど、
きわめて良い保存状態で発見されました。
その彼女の腕に、タカのくちばし、ヤギの角、シカの頭などのタトゥーがほどこされていたのです。
「王女」と称されていますが、実際のところ彼女の生業はシャーマン(巫女)であったと推測されます。
霊的、呪術的なものとタトゥーとの深い結びつきは、今でも多くの部族で見られます。
その深い結びつきは、タトゥーの起源から今にいたるまで、連綿と続いてきたと考えられます。
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